災害時に必要なもの(2022年冬バージョン)

一部のメディアでも取り上げていますが、最近ちょっと気になる地震が増えています。

なので今月は過去の経験から冬の災害時に必要となるものを特集します。

尚、以下は大阪市内で阪神淡路大震災を経験し、当時被災地に3軒の親戚があって支援した側の目線で纏めていますのでこれが必要だと実際に依頼された内容です。


教訓:普段簡単に手に入るものほど災害時にはすぐに無くなる

これは実際に経験しなければ本当のところが伝わらないと思いますが、大震災の場合、ほぼ確実に物流が止まります。

数日でも物流が止まるという事は、周辺地域でも普段よく目にする商品があっという間に無くなりしばらく手に入りません。

普段よく目にするという事は、普段から一定程度の需要があるので目につく箇所に陳列しており、ひとたび災害が起こればまず最初に品薄になるからです。

水やレトルト食品は勿論ですが、お菓子やインスタント類など普段は健康志向で買わない人でも買い溜めをします。

これは大震災が発生した直後はもう一度発生するかもと大半の人が考えて買い溜めが発生し、30分、1時間後にはパンもペットボトルも無くなりその状態から更に物流が止まるのです。

冬に限定すればホカロンや桐灰等の酸化熱を利用した使い捨てカイロは必須少なくとも家族の数日分は確保していた方が無難です。

後は卓上のガスコンロと、コンロに使う忘れがちなカセット式ガスボンベ冬前に一度は在庫を確認したほうが良いでしょう。

数日は電気が使えない状況で、あのクラスの地震になると家が何とか持ちこたえてもドアが閉まらないとか窓に隙間が発生するので身体を芯から温めて耐える必要が有ります。

家に石油ストーブがあるから大丈夫と早とちりしないで下さい。

石油(灯油)にしてもガスにしてもコンセントにつないで使用している暖房器具はまず使えない筈です。(特に**ファンヒーター)

又、最近IH式の電気コンロが台頭し、意外と卓上のガスコンロを一つも持っていない家庭が増えたのではないかと思いますので合わせてチェックして下さい。

使い捨てカイロにしてもガスボンベにしても結構有効期限が長いので、本格的に寒くなる前に1シーズンで使い切る数量分は各自確保すべきです。

  • (去年の冬に購入した桐灰カイロは有効期限2023年4月なので出荷後1年半は十分に有効です)

特に今年はLNG(天然ガス)の価格が高騰しているので使い捨てカイロを普段より多めに購入し、夕方からカイロを貼ってエアコンの設定温度を下げて暮らす方法も良いと思います。

とにかく大震災となれば短期の停電は絶対に想定しなければならず、それが二日間でも三日間でも体温を維持出来る商品は確保して下さい。

注)ガスボンベにしても灯油にしても、大震災が前提なのでそれ自体の保管場所にも工夫が必要です


阪神淡路大震災で実際に必要だったもの

本題へ入る前に補足しますが、阪神淡路大震災はちょっと特殊な条件が有りました

一つは比較的水が容易に入手できた点で二つ目は隣の大阪に大きな被害が無かった点です。

水に関しては六甲の天然水という商品があるぐらいに六甲山の地下水が豊富で、今でも西宮市に酒造会社が多く並んでいます。

なので水道の復旧も2,3週間掛りましたが近所の屋敷に地下水を汲み上げる手動式のポンプがあるとか古くからある住居では意外に多くの地下水設備があり、それを近隣の住民に開放していました。

飲み水としては駄目だったそうですが、レトルトを温めたりトイレの排水に使ったりと地下水はとても重宝したそうです。

二つ目の大阪に大きな被害が無かった点は、大阪市は淀川の三角州に立地していて土地が柔らかく、大きくは揺れましたが被害が少なくて地震発生の当日ですら市内は普通にパチンコ店も営業していたレベルでした。

(神戸では地震で地震計も破損し、あれ程酷い状況と午前中は判らなかった人も多かった為)

なので翌日の深夜から、一般人でも大阪から甲子園付近(西宮市)まで緊急物資を車で搬送出来たので、もっと条件の悪い地域は有ると思います。

特に雪の積もる地域では別途で必須となるものがあると思いますから各々考えを補正して下さい。

(兵庫南部では雪が降っても積もる程にはなりません)


発生初期は三日単位、その後は一週間単位で必要なものが変わります

発生後直ぐに必要なものは紙コップ・紙皿・割りばし等、水道が止まって洗えないので使い捨てが出来る食器類、それとウェットティッシュ類です。

  • (幼児がいる家庭では衛生を保つためにもっと細かい物も必要だったそうです)

他に持っていれば欲しいと言われたのは軍手・ゴム手袋と使い捨てカイロ・懐中電灯と電池。

全てどこの家庭でも若干は持っていると思いますが、現地では当日から入手出来ないからです。

当時は電話も繋がらず、夜中に支援物資を持参してその時に追加の必要なものを依頼される繰り返しでしたが、ここまでに挙げた商品は2日後、3日後大阪のホームセンターに行っても電池と軍手が若干あった程度で他は売り切れでした。

電気と水が使え無くなれば必要になる物品はみんな同じで親戚や会社の同僚から頼まれて大阪のホームセンターで買い揃えていたのだと想像します。

(余談ですが私の親戚の地区では幸い電気だけ早めに復旧しています)

因みに発生当日から大阪のコンビニでも飲料水は直ぐに品薄でしたが、被災地では店が無料で在庫品を開放したりとその日や翌日分の飲料水は案外行き渡るようでした。

又、紙皿は誰かが考えて陶器の皿の上にラップを敷く方法が広まり、10日後にはそれ程必要とされていませんでした。

しばらくゴミの回収が出来ないのでラップの方式は紙の皿よりゴミの量が少なく済むからだそうです。

この事からラップも常に1箱はストックしていた方が無難だと思います。

割り箸については当時独身だったのでコンビニから貰える分を貯め込んでおり、翌日だったか依頼されて全部持って行き、かなり重宝されたそうです。

  • 勿論というか現地では助け合いが広まっており、近所の方にも配ったそうですが・・・。

阪神淡路の復旧したインフラの順番と必要なものの変化について

地域によって違いがあるのでこれは西宮市と芦屋市に限定した話と理解して下さい。

(西宮市は阪神高速が縦にズレ落ちた場所、芦屋市は横方向に倒れた場所のすぐ近くです)

インフラが復旧した順番は電気・水・ガスです。

ご存じの方もおられると思いますが、神戸市灘区で発生した火災の一部は通電火災とされ、今は震災後直ぐに電気が復旧しない可能性が有ります。

又、当時は冬だった影響か簡易的に安全を確認して一気に通電していった認識ですが、後日電柱の機器を交換するので度々停電があったそうです。

それと強めの余震でも安全のためか停電していた日もあったと聞いています。

あとは水とガスですが、ここからは比較にならないぐらい復旧に時間が掛かり、又、幹となる主配管との距離によって復旧の時間は変わる認識です。

特にガスは引火の可能性もあるのでひと月は軽く復旧に掛かります。

ガスが復旧する前、電気と水は復旧していたので探して欲しいといわれたのは湯船に入れて電気で加熱するヒーターです。

このヒーターはテレビで紹介されたのか大阪のホームセンターでは売り切れで、商品棚に並んだ頃にはガスの復旧の目途が立っていました。

当時先に復旧した地区では銭湯や施設のお風呂を無料開放していましたが、老人や赤ちゃんがいる家庭では加熱ヒーターも持っていた方が良いと思います。

あと全般的にいえるのは自転車は1台は持っていた方が無難。

大震災でも少し離れると被害が軽微な場合も有り、国道を超えれば10日ほどでかなり復旧していてコンビニも通常営業しているという状態も出てきます。

他に水などの支給品を持ち運ぶにしても、手で運ぶより自転車に乗せて運んだ方が楽だからです。

まあ10日ほど経過すれば親戚や友人が自転車もそうですが必要なものを持ってきてくれるので絶対に必要ではないですが、相当の期間電車は使えない想定はした方が良いと思います。



あとがき

阪神淡路大震災は1995年に発生し、年明けの1月であれから28年になります。

冒頭に記載しましたが最近の関東・東北の地震は当時の兆候に似ている感じがします。

阪神淡路大震災以前は、関東では地震が多いが関西では殆ど地震がありませんでした。

それが発生の1年ほど前から兵庫県の中北部や大阪の能勢で震度2以上の地震が散発し、最後一気に大震災が発生しました。

つまり地震が散発していた場所と実際の断層は離れており、最近多い関東・東北の太平洋側の地震は警戒が必要ではないかと思います。

それと大震災発生前に数か月静穏な期間があり、その後ちょっと場所がずれて久しぶりに震度3が発生したなと思った後にあの直下型地震です。

因みにそんな中でも後から思えば…という兆候が各所にあり、仕事仲間の話では兵庫北中部で地下水が出なくなったとか出ても温度が高かったとか、大きな地震ほど何処かで変化が有ると思います。

今は時代が変わり、火力発電も減り原発も多くが停止しています。

HOMEにも記載していますが3月の福島沖地震でもその後電力不足が発生しました。

又、当時と違ってスマホが重要な情報源なので長期停電を視野に入れると乾電池の充電器も必要でしょう。

地球規模で考えれば2,3年でも人間の一生なら数秒の誤差。

この半年・1年で大震災が発生しなかったとしても、兆候がある以上、今までよりも準備するに越したことは無いと思います。


最後に、当時芦屋に住んでいた叔母の言葉が今でも凄く印象に残ります。

それは震災が冬に発生してまだましだった、という趣旨で、一番は食べ物の腐る心配がなかった事、それと寒さは着込んでカイロも有ったので耐えられたという内容。

これは最低気温が真冬でも数日零下になる程度の地域だからこその意見と思いますが、もし真夏に発生してたら体がもたなかったと思うと言っていました。

今回は冬の必要なものを記載しましたが、真夏の震災発生も想定する必要が当然あります。

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